「神聖ローマ帝国」をわかりやすく解説

目次

神聖ローマ帝国とは

神聖ローマ帝国とは、現在のドイツのあたりに存在した国です。

962年~1806年まで存続しました。

前史:東フランク王国

東フランク王国とは、神聖ローマ帝国の元となった国です。

東フランク王国は、フランク王国の分裂により、843年に誕生しました。

911年、東フランク王国を統治してきたカロリング朝が断絶し、神聖ローマ帝国の時代に向かいます。

神聖ローマ帝国史①ザクセン朝

ザクセン朝は、919年~1024年の王朝です。

神聖ローマ帝国の最初の王朝です。

ハインリヒ1世

ハインリヒ1世は、919年~936年のザクセン大公です。

東フランク王国の最後の王コンラート1世の遺言により、ハインリヒ1世が権力を引き継ぎます。

これにより、ザクセン朝が成立しました。

オットー1世

オットー1世は、936年~973年のザクセン大公です。

962年、オットー1世がローマ皇帝に就任し、神聖ローマ帝国が誕生しました。

神聖ローマ帝国史②ザーリアー朝

ザーリアー朝は、1024年~1125年の王朝です。

ハインリヒ4世

ハインリヒ4世は、1056年~1106年の王です。(神聖ローマ皇帝としては1084年~1106年)

ハインリヒ4世は、ローマ教皇(カトリック教会の首長)と叙任権をめぐって争いました。

この権力闘争は、叙任権闘争と呼ばれています。

神聖ローマ帝国史③シュタウフェン朝

シュタウフェン朝は、1138年~1254年の王朝です。(1208年~1215年は一時中断しています)

神聖ローマ帝国が繁栄した時代です。

フリードリヒ1世

フリードリヒ1世は、1152年~1190年の皇帝です。

フリードリヒ1世は、ブルグント王女と結婚し、イタリア遠征を行うなど、対外政策に力を入れました。

そしてドイツ、ブルグント、イタリアの三国の王を兼任しました。

また第3回十字軍に参加したことでも知られています。

フリードリヒ2世

フリードリヒ2世は、1215年~1250年の皇帝です。

フリードリヒ2世は、シチリア王国への支配力を得つつ、イェルサレム王にもなりました。

フリードリヒ2世の時代は、神聖ローマ帝国の最盛期とも考えられます。¹

神聖ローマ帝国史④大空位時代

大空位時代とは、皇帝が不在の期間です。

1254年~1273年まで続きました。

神聖ローマ帝国史⑤ハプスブルク家

1273年、ハプスブルク家のルードルフが皇帝となります。

その後は皇帝位の中断を経験しますが、1438年以降はハプスブルグ家が皇帝位を独占していきます。

マクシミリアン1世

マクシミリアン1世は、1493年~1519年の皇帝です。

イタリア戦争が発生し、フランスと戦争を行いました。

また、裁判制度や帝国議会が整備されました。

カール5世

カール5世は、1519年~1556年の皇帝です。

カール5世は、神聖ローマ皇帝になる前からブルゴーニュ公やスペイン王に就任しており、神聖ローマ帝国以外でも支配力を発揮しました。

さらにカール5世の時代は、宗教改革が本格化し、対応を迫られました。

フェルディナント2世

フェルディナント2世は、1619年~1637年の皇帝です。

フェルディナント2世の時代に、三十年戦争が開始されました。

三十年戦争の結果、ハプスブルク家は大きく衰退し、神聖ローマ帝国も分裂状態となります。

その後、ドイツではプロイセン王国が台頭していきます。

神聖ローマ帝国史⑥滅亡

神聖ローマ帝国は、フランスのナポレオン・ボナパルトに侵攻され、再編成が行われます。

この過程で、神聖ローマ帝国は消滅します。(1806年)



参考文献
成瀬治・山田欣吾・木村靖二編『世界歴史大系 ドイツ史1 先史~1648年』山川出版社,1997.
坂井榮八郎『ドイツ史10講』岩波書店,2003.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
(Amazonのリンクとなっております)


¹坂井榮八郎『ドイツ史10講』岩波書店,2003.

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