フランク王国とは
フランク王国とは、ゲルマン人の一派であるフランク族による国家です。
時期としては、481年~843年です。
前史:ローマ帝国
フランク王国の成立前、同地域はローマ帝国が支配していました。
フランク王国史①メロヴィング朝
メロヴィング朝は、フランク王国の最初の王朝です。
時期としては、481年~751年まで続きました。
メロヴィング朝史①クローヴィス
クローヴィスは、481年~511年の王です。
メロヴィング朝の創始者で、西ゴート族を撃退して領土を拡大しました。
また496年、カトリックのアタナシウス派に改宗し、ローマの教会勢力と協力しやすい体制を作ります。
メロヴィング朝史②クロタール2世
クロタール2世は、584年~629年の王です。
アウストラシア、ネウストリア、ブルグンディアに分割されていたフランク王国を再統一しました。
しかし、アウストラシアとブルグンディアでは、「宮宰」という独立した権力者が設置されました。
フランク王国史②カロリング朝
カロリング朝は、フランク王国の2番目の王朝です。
時期としては、751年~987年まで続きました。
元々は、アウストラシアの宮宰の家系でした。
カロリング朝史①ピピン3世
ピピン3世は、751年~768年の王です。
メロヴィング朝の王を排除し、カロリング朝を創設しました。
カロリング朝史②カール大帝(シャルルマーニュ)
カール大帝は、768年~814年の王です。
800年、ローマ教皇のレオ3世から戴冠され、西ローマ皇帝の称号を得ました。
またフランク王国の領土を拡大し、カロリング朝の最盛期を築きました。
カロリング朝史③ルートヴィヒ1世(ルイ敬虔帝)
ルートヴィヒ1世は、814年~840年の王です。
フランク王国を単独で統治した最後の皇帝です。
ルートヴィヒ1世の死後、フランク王国は分裂していきます。
神聖ローマ帝国/フランス王国へ
ルートヴィヒ1世の死後、フランク王国は分裂していきます。
こうして、東フランク王国と西フランク王国が成立します。
その後の東フランク王国について↓
その後の西フランク王国について↓
参考文献
佐藤彰一・池上俊一『世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成』中央公論新社,1997.
柴田三千雄・樺山紘一・福井憲彦『世界歴史大系 フランス史1 先史~15世紀』山川出版社,1995.
柴田三千雄『フランス史10講』岩波書店,2006.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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