「ビザンツ帝国」をわかりやすく解説

目次

ビザンツ帝国とは

ビザンツ帝国は、コンスタンティノープル(現在のトルコ・イスタンブール)を中心とするキリスト教国家です。

時期としては、395年~1453年まで存続しました。

ローマ帝国の分裂によって成立したため、東ローマ帝国とも呼ばれます。

前史:ローマ帝国

ビザンツ帝国は、ローマ帝国が分裂して誕生した国家です。

ビザンツ帝国史①ユスティニアヌス1世

ユスティニアヌス1世は、527年~565年の皇帝です。

ヴァンダル王国や東ゴート王国などのゲルマン人国家を滅ぼし、かつてローマ帝国が持っていた領地を再び獲得しました。

しかし、ササン朝ペルシアには和平を取り持つために貢納金を支払っており、加えて疫病や財政破綻を経験するなど、苦しい部分もありました。

ビザンツ帝国史②ヘラクレイオス1世

ヘラクレイオス1世は、610年~641年の皇帝です。

ササン朝ペルシアとの戦いに勝利するも、スラブ人やアラブ人の侵入により領土を失いました。

ビザンツ帝国史③レオン3世

レオン3世は、717年~741年の皇帝です。

726年、レオン3世は聖像禁止令を出しました。

これにより、ビザンツ帝国ではイコノクラスム(聖像破壊運動)が起こりました。

ビザンツ帝国史④ニケフォロス1世

ニケフォロス1世は、802年~811年の皇帝です。

ニケフォロス1世は、強制移住や課税強化などの10の政策を実行しました。

この政策は、かつて「十大悪政」と批判されましたが、現在では高く評価されています。¹

また、ヘラクレイオス1世~ニケフォロス1世の間の時期に、テマ制が成立したと考えられます。

ビザンツ帝国史⑤アレクシオス1世コムネノス

アレクシオス1世コムネノスは、1081年~1118年の皇帝です。

コムネノスは、官位や通貨の改革を行い、長らく不安定だったビザンツ帝国を立て直しました。

またセルジューク朝との戦いの中で、ローマ教皇のウルバヌス2世に助けを求め、第1回十字軍の援助を受けて勝利しました。

ビザンツ帝国史⑥アレクシオス5世ドゥカス

アレクシオス5世ドゥカスは、1204年の皇帝です。

この時代に、第4回十字軍に侵攻され、ビザンツ帝国は一時滅亡します。

ビザンツ帝国史⑦コンスタンティノス11世

コンスタンティノス11世は、在位1449年~1453年の皇帝です。

1453年、オスマン帝国のメフメト2世の攻撃により、ビザンツ帝国は滅亡しました。

オスマン帝国へ

ビザンツ帝国の滅亡後、オスマン帝国が同地域を支配していきます。


参考文献
井上浩一・栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラブ』中央公論新社,1998.
中谷功治『ビザンツ帝国』中央公論新社,2020.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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¹井上浩一・栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラブ』中央公論新社,1998.
中谷功治『ビザンツ帝国』中央公論新社,2020.

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