【第一帝政】「ナポレオン・ボナパルト」をわかりやすく解説

目次

ナポレオン・ボナパルトとは

ナポレオン・ボナパルトは、フランスの軍人です。

フランス革命期の終盤において、政治権力を握りました。

本記事では、ナポレオンが活躍した時代の歴史を解説していきます。

背景:フランス革命

ナポレオン・ボナパルトの台頭は、フランス革命に含まれる出来事です。

前史:総裁政治

当時のフランスでは、5人の総裁が権力を持つ総裁政治が行われていました。

しかし総裁政治は、あまり上手く機能していませんでした。

ナポレオン史①ブリュメール18日のクーデタ

1799年11月9日、ナポレオンは、ブリュメール18日のクーデタを起こします。

この軍事クーデタにより、フランスの総裁政治は終了します。

ナポレオン史②統領政の成立

1799年12月15日、フランスで1799年憲法が発布されます。

これによって、ナポレオンを第一統領とする統領政府が成立しました。

ナポレオン史③ナポレオンの皇帝就任

1804年3月、ナポレオン法典が発布され、新体制への移行が決定付けられます。

そして1804年5月、国民投票によって、ナポレオンは皇帝に選出されます。

ここから、フランスの第一帝政が始まります。

ナポレオン史④ヨーロッパ支配

ナポレオン率いるフランスは、数々のヨーロッパ諸国に侵攻していきます。

これにより、オランダや北西イタリアを併合し、西ドイツやイタリアを従属させ、プロイセンやオーストラリアやスペインと同盟をむずびました。

ちなみに、1806年に神聖ローマ帝国が消滅したのも、このナポレオンの侵略が影響しています。

ナポレオン史⑤ナポレオンの失脚

1808年、スペインで反乱が起こりますが、フランスは鎮圧に失敗します。

そして1812年、ロシアへの侵攻に失敗し、フランスは多くの兵士を失います。

これ以降はフランスから離反する国が相次ぎ、1814年4月にナポレオンは失脚します。

その後ナポレオンは、皇帝に一時復帰しますが、すぐに失脚します。

この二度目の失脚をもって、ナポレオンの時代が終わります。

七月革命へ

ナポレオンの時代が終わり、フランスは再び王政となります。

しかし、この王政に対しても反発が起こり、七月革命が発生します。



参考文献
五十嵐武士・福井憲彦『世界の歴史21 アメリカとフランスの革命』,中央公論社,1998.
柴田三千雄『フランス史10講』岩波新書,2006.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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