「ピューリタン革命」をわかりやすく解説

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ピューリタン革命とは

ピューリタン革命とは、一時的に共和政(王のいない政治体制)が実現した革命です。

1640年~1660年のイギリス(厳密にはイングランド、スコットランド、アイルランド)での出来事です。

別名、清教徒革命とも呼ばれます。

本記事では、イングランド王国での出来事を中心に、ピューリタン革命を解説していきます。

背景:国王vs議会

1628年、イングランド議会において権利の請願が可決され、国王の権限を弱める決定が行われます。

これに対抗して、イングランド国王のチャールズ1世は、1629年に議会を解散しました。

そこから11年の間、議会は開かれませんでした。

ピューリタン革命史①王党派vs議会派

1640年、戦争による財政問題のため、チャールズ1世は仕方なく議会を開きます。

これによりイングランドでは、国王vs議会の対立が再燃します。

1642年、王党派(国王を重要視する派閥)と議会派(議会を重要視する派閥)の戦争が始まります。

ピューリタン革命史②議会派の分裂

議会派は、国王との協調を目指す長老派と、国王と徹底抗戦を目指す独立派に分裂します。

それに加えて、民主主義や自由を主張する平等派も台頭します。

ピューリタン革命史③独立派の勝利/クロムウェルの独裁

最終的に、独立派がこの争いに勝利しました。

1649年、独立派が国王のチャールズ1世を処刑し、共和政(王のいない政治体制)が成立しました。

そして共和政イングランドでは、独立派の政治家オリヴァ・クロムウェルによる軍事独裁政治が実施されます。

1649年~1650年、クロムウェルは、国王に味方していたアイルランドやスコットランドを征服しました。

そして1653年、クロムウェルは護国卿に就任し、イングランド、スコットランド、アイルランドの最高権力者となりました。

ピューリタン革命史④王政復古

1658年、オリヴァ・クロムウェルが死亡し、息子のリチャード・クロムウェルが護国卿となります。

しかし混乱を抑えられず、1659年に辞任します。

1660年、チャールズ2世が王に就任し、イングランドは再び王政となります。(王政復古)

名誉革命へ

革命はこれで終わらず、1688年には名誉革命が起こります。



参考文献
岩井淳『世界史リブレット115 ピューリタン革命と複合国家』山川出版社,2010.
近藤和彦『イギリス史10講』岩波書店,2013.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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