
ヘレニズム時代とは
ヘレニズム時代とは、「マケドニア王のアレクサンドロス3世の遠征」~「アレクサンドロス3世の領土が古代ローマに征服されるまで」の時代です。
時期としては、紀元前334年頃~紀元前30年です。
ヘレニズム時代史①アレクサンドロス3世の遠征
紀元前363年、アレクサンドロス3世がマケドニア王国の王となります。
アレクサンドロス3世は、紀元前334年から遠征を行い、エジプト・西アジア・中央アジアなどを征服し、広大な領土を支配しました。
ヘレニズム時代史②後継者戦争(ディアドコイ戦争)の開始
紀元前323年、アレクサンドロス3世が死亡します。
これをきっかけに、多数の有力者が、アレクサンドロス3世が征服した広大な領土をかけて争いを始めました。
ヘレニズム時代史③マケドニア王家の滅亡
紀元前317年以降、名目上の統治者だったフィリッポス3世とアレクサンドロス4世が、相次いで殺害されます。
これにより、マケドニア王家(アルゲアダイ)が滅びます。
こうして、カッサンドロス、アンティゴノス、プトレマイオス、リュシマコス、セレウコスの5人の有力者が台頭します。
ヘレニズム時代史④4つの王朝へ
紀元前301年、イプソスの戦いにおいて、アンティゴノスが死亡します。
これによって領土の分裂が確定し、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝マケドニア、カッサンドロス朝、リュシマコス朝の4つの王朝が成立します。
ヘレニズム時代史⑤3つの王朝へ
4つの王朝のうち、カッサンドロス朝とリュシマコス朝は不安定でした。
まもなくカッサンドロスやリュシマコスは死亡し、争いが相次ぎました。
そんな中、アンティゴノスの子孫であるアンティゴノス・ゴナタスが台頭し、情勢を安定させます。
こうして紀元前276年、アンティゴノス朝マケドニアが成立しました。
セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニアの3国は、長期間にわたって存続していきました。
古代ローマへ
セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニアの3国は、いずれもローマに征服されて滅亡しました。
こうしてヘレニズム時代が終了し、古代ローマの時代へと移っていきます。


参考文献
小林登志子『古代メソポタミア全史』中央公論新社,2020.
河合望『古代エジプト全史』雄山閣,2021.
桜井万里子編『新版世界各国史17 ギリシア史』山川出版社,2005.
小川英雄・山本由美子『世界の歴史4 オリエント世界の発展』中央公論社,1997.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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