「叙任権闘争」「カノッサの屈辱」をわかりやすく解説

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叙任権闘争とは

叙任権闘争とは、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の権力争いです。

叙任権(司教の任命権)が争点となったため、叙任権闘争と呼ばれます。

1076年~1122年まで続きました。

カノッサの屈辱とは

叙任権闘争の中でも、代表的な事件としてカノッサの屈辱があります。

叙任権闘争の初期の1077年に起こりました。

これはローマ教皇のグレゴリウス7世と、神聖ローマ皇帝のハインリヒ4世の権力争いから発生しました。

グレゴリウス7世の教令

1073年にローマ教皇となったグレゴリウス7世は、教令を出しました。

この教令により、皇帝による叙任権(司教の任命権)の行使が禁止されます。

グレゴリウス7世vsハインリヒ4世

グレゴリウス7世の教令は、当然ながら、ハインリヒ4世にとって都合が悪いものでした。

そこでハインリヒ4世は、グレゴリウス7世の廃位を宣言します。

これに対して、グレゴリウス7世もハインリヒ4世の破門を宣言します。

ついに、グレゴリウス7世とハインリヒ4世の対立が明確になりました。

雪中での謝罪(カノッサの屈辱)

対立に負けたのは、ハインリヒ4世でした。

ドイツ諸侯は、ハインリヒ4世が破門を解除されなかった場合、廃位とする決定をしました。

1077年、窮地に立たされたハインリヒ4世は、雪の中を裸足で3日間謝罪し、グレゴリウス7世に破門を解除してもらいます。(カノッサの屈辱)



参考文献
ロバーツ,J.M『図説世界の歴史5東アジアと中世ヨーロッパ』池上俊一監修,月森左知・高橋宏訳,創元社,2003.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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