「ドイツの歴史」25記事まとめ
【ドイツ史①古代】 紀元前3世紀頃から、ゲルマン人が侵入し、定住していきました。 またローマ帝国からの攻撃を受けますが、全領土が征服されることはありませんでした…
目次
叙任権闘争とは
叙任権闘争とは、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の権力争いです。
叙任権(司教の任命権)が争点となったため、叙任権闘争と呼ばれます。
1076年~1122年まで続きました。
カノッサの屈辱とは
叙任権闘争の中でも、代表的な事件としてカノッサの屈辱があります。
叙任権闘争の初期の1077年に起こりました。
これはローマ教皇のグレゴリウス7世と、神聖ローマ皇帝のハインリヒ4世の権力争いから発生しました。
グレゴリウス7世の教令
1073年にローマ教皇となったグレゴリウス7世は、教令を出しました。
この教令により、皇帝による叙任権(司教の任命権)の行使が禁止されます。
グレゴリウス7世vsハインリヒ4世
グレゴリウス7世の教令は、当然ながら、ハインリヒ4世にとって都合が悪いものでした。
そこでハインリヒ4世は、グレゴリウス7世の廃位を宣言します。
これに対して、グレゴリウス7世もハインリヒ4世の破門を宣言します。
ついに、グレゴリウス7世とハインリヒ4世の対立が明確になりました。
雪中での謝罪(カノッサの屈辱)
対立に負けたのは、ハインリヒ4世でした。
ドイツ諸侯は、ハインリヒ4世が破門を解除されなかった場合、廃位とする決定をしました。
1077年、窮地に立たされたハインリヒ4世は、雪の中を裸足で3日間謝罪し、グレゴリウス7世に破門を解除してもらいます。(カノッサの屈辱)
「ドイツの歴史」25記事まとめ
【ドイツ史①古代】 紀元前3世紀頃から、ゲルマン人が侵入し、定住していきました。 またローマ帝国からの攻撃を受けますが、全領土が征服されることはありませんでした…
参考文献
ロバーツ,J.M『図説世界の歴史5東アジアと中世ヨーロッパ』池上俊一監修,月森左知・高橋宏訳,創元社,2003.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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