「ウィーン体制」をわかりやすく解説

目次

ウィーン体制とは

ウィーン体制とは、フランス革命前の社会を目指し、作られた体制です。

1814年~1815年のウィーン会議で定められました。

前史:フランス革命

1789年からのフランス革命によって、ヨーロッパの体制は大きく変化しました。

ウィーン体制史①ウィーン会議

1814年、ウィーン会議が開催され、フランス革命以前の旧体制への復帰が目指されました。

この会議の結果、フランス、スペイン、ポルトガル、ナポリなどでは、かつての君主が復帰しました。

ただし、神聖ローマ帝国は復活せず、かわりにオーストリア帝国やプロイセン王国の一部を含むドイツ連邦が成立しました。

ウィーン体制史②四国同盟/神聖同盟

四国同盟は、ウィーン体制への反対勢力を弾圧するための軍事同盟です。

イギリス、オーストリア、プロイセン、ロシアの四国で結成されました。

のちに四国同盟にフランスが加わり、五国同盟となりました。

また、実行力には欠けるものの、多数の君主が参加した神聖同盟も知られています。

ウィーン体制崩壊へ

1848年革命の発生により、ウィーン体制は崩壊に向かっていきます。


参考文献
谷川稔・北原敦・鈴木健夫・村岡健次『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』中央公論新社,1999.
坂井榮八郎『ドイツ史10講』岩波書店,2003.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
(Amazonのリンクとなっております)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次