「ササン朝ペルシア」をわかりやすく解説

目次

ササン朝ペルシアとは

ササン朝ペルシアとは、イランで成立した王朝です。

時期としては、224年~651年まで存続しました。

最盛期は、イランやイラクを中心に、中央アジアやエジプトなどにも勢力を拡大しました。

前史:アルサケス朝パルティア

ササン朝ペルシアの成立前、アルサケス朝パルティアがイランを統治していました。

ササン朝ペルシア史①アルダシール1世

アルダシール1世とは、224年~241年の王です。

アルサケス朝パルティアを滅ぼし、ササン朝ペルシアを創設しました。

ササン朝ペルシア史②シャープール1世

シャープール1世は、241年~272年の王です。

ササン朝ペルシアの体制を整えました。

ローマとの戦いで勝利し、ローマの皇帝を捕虜にしたことでも知られます。

ササン朝ペルシア史③ホスロー1世

ホスロー1世は、531年~579年の王です。

ホスロー1世は、ビザンツ帝国のユスティニアヌス1世との戦いで成果を上げ、さらに遊牧民のエフタルを滅亡させました。

この時代は、ササン朝の最盛期でした。

ササン朝ペルシア史④ホスロー2世

ホスロー2世は、590年~628年の王です。

征服によって領土を拡大しましたが、そのために財政が悪化し、ササン朝ペルシアは衰退しました。

また、ビザンツ帝国のヘラクレイオス1世に敗北しました。(ニネヴェの戦い)

ササン朝ペルシア史⑤ヤズデギルド3世

ヤズデギルド3世は、632年~651年の王です。

642年、ササン朝ペルシアはイスラーム勢力のウマルに敗北しました。(ニハーヴァンドの戦い)

651年、ササン朝は滅亡しました。

ペルシアのイスラーム化

ササン朝ペルシアの滅亡後、ペルシア(イラン)はイスラーム勢力の領土となっていきます。


参考文献
小林登志子『古代メソポタミア全史』中央公論新社,2020.
小川英雄・山本由美子『世界の歴史4オリエント世界の発展』中央公論社,1997.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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