「セルジューク朝」をわかりやすく解説

目次

セルジューク朝とは

セルジューク朝とは、スンナ派のイスラームによる王朝です。

時期としては、1038年~1194年まで存続しました。

名目上はアッバース朝の配下でした。

最盛期には、イラン・イラク・アナトリアなど広域を支配しました。

前史:ブワイフ朝

セルジューク朝が台頭する前、ブワイフ朝が権力を握っていました。

セルジューク朝史①トゥグリル・ベク

トゥグリル・ベクは、1038年~1063年のセルジューク朝の長です。

1055年、トゥグリル・ベクは、アッバース朝カリフのカーイムから、スルタンの称号を授かります。

ドゥグリル・ベクは、現在でいうイランやイラクを領土としました。

セルジューク朝史②アルプ・アルスラーン

アルプ・アルスラーンは、1063年~1072年のスルタンです。

アルプ・アルスラーンは、多くの軍事遠征を行いました。

また1071年、アルプ・アルスラーンは、ビザンツ帝国との戦いで勝利しました。(マラーズギルドの戦い)

セルジューク朝史③マリク・シャー

マリク・シャーは、1072年~1092年のスルタンです。

領土の拡大を継続し、セルジューク朝の領土を最大にしました。

セルジューク朝史④マフムード/分裂

マフムードは、1092年~1094年のスルタンです。

マフムードの時代に、権力争いが発生し、セルジューク朝は分裂していきました。

セルジューク朝史⑤トゥグリル2世/滅亡

トゥグリル2世は、1176年~1190年、1191年~1194年のスルタンです。

1194年、アッバース朝カリフのナースィルの策により、敵対勢力が領土に侵入し、セルジューク朝は滅亡しました。

アイユーブ朝へ

セルジューク朝の滅亡後、イスラーム世界ではアイユーブ朝が台頭していきます。



参考文献
佐藤次高編『宗教の世界史11 イスラームの歴史1イスラームの創始と展開』山川出版社,2010.
佐藤次高編『新版世界各国史8 西アジア史Ⅰ』山川出版社,2002.
永田雄三編『新版世界各国史9 西アジア史Ⅱ』山川出版社,2002.
佐藤次高『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』中央公論社,1997.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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