「マムルーク朝」をわかりやすく解説

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マムルーク朝とは

マムルーク朝とは、マムルーク(奴隷)によるイスラーム系の王朝です。

時期としては、1250~1517年まで存続しました。

主にエジプトなどを支配しました。

前史:アイユーブ朝

マムルーク朝が台頭する前、アイユーブ朝が影響力を持っていました。

マムルーク朝史①アイバク

アイバクは、1250年~1257年のスルタンです。

アイバクは、マムルーク(奴隷)の王朝を認めない人々による反乱を鎮圧しました。

マムルーク朝史②クトズ

クトズは、1259年~60年のスルタンです。

1260年、侵攻してきたモンゴル軍に勝利し、領土を守りました。(アイン・ジャールートの戦い)

マムルーク朝史③バイバルス

バイバルスは、1260年~1277年のスルタンです。

アッバース朝のカリフを復活させるなど、国内の整備を行いました。

また、モンゴル軍に複数回勝利しました。

マムルーク朝史④ナースィル・ムハンマド

ナースィル・ムハンマドは、1293年~1294年、1299年~1309年、1310年~1341年のスルタンです。

特に3度目の治世は、マムルーク朝の最盛期とされています。¹

このナースィル・ムハンマドの死後、マムルーク朝は衰退していきました。

マムルーク朝史⑤トゥーマーンバーイ

トゥーマーンバーイは、1516年~1517年のスルタンです。

オスマン帝国のセリム1世に敗北し、1517年に処刑されました。

これにより、マムルーク朝は滅亡しました。



参考文献
佐藤次高編『新版世界各国史8 西アジア史Ⅰ』山川出版社,2002.
佐藤次高『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』中央公論社,1997.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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¹佐藤次高『世界の歴史8イスラーム世界の興隆』中央公論社,1997.

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