ローマ帝国の「専制君主政」をわかりやすく解説

目次

専制君主政(ドミナートゥス)とは

専制君主政とは、ローマ帝国において、これまで以上に皇帝の権限が強化された統治形態です。

時期としては、284年~395年です。

本記事では、これに加えて、476年の西ローマ帝国滅亡まで解説します。

前史:3世紀の危機

専制君主政の成立前、ローマ帝国は「3世紀の危機」と呼ばれる混乱期でした。

専制君主政は、この混乱を解決するために生まれたものでした。

専制君主政史①ディオクレティアヌス

ディオクレティアヌスは、284年~305年の皇帝です。

四帝分治制(テトラルキア)を実施し、ローマ帝国を東西2つに分割し、それぞれに正帝と副帝を置きました。

これ以降の支配体制は、皇帝権力の強化されたことから専制君主政(ドミナトゥス)と呼ばれます。

専制君主政史②コンスタンティヌス

コンスタンティヌスは、306年~337年の皇帝です。

コンスタンティヌスは、キリスト教を公認したことで知られます。

327年、ローマ帝国を再統一します。

330年、コンスタンティノープルという都を新設し、ローマ帝国の東側へ勢力を移転していきました。

専制君主政史③ウァレンス

ウァレンスは、364年~378年の皇帝です。

376年、ゲルマン人の大移動が起こり、ローマ帝国に大量のゲルマン人が侵入します。

378年、ゲルマン人のゴート族の反乱を鎮圧しようとし、ウァレンスは死亡しました。

専制君主政史④テオドシウス

テオドシウスは、379年~395年の皇帝です。

394年には東西ローマを再統一します。

しかし395年にテオドシウスが死亡し、ローマ帝国は東西に分裂がします。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)をアルカディウス帝が治め、西ローマ帝国をホノリウス帝が治めることとなります。

西ローマ帝国の滅亡

西ローマ帝国は、引き続きゲルマン人の侵入に苦しみます。

410年には、ゲルマン人の西ゴート族によって、ローマの都が侵攻されます。

そして476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって、西ローマ皇帝のロムルスが退位させられます。

この退位をもって、西ローマ帝国は消滅します。

東ゴート王国/フランク王国へ

西ローマ帝国滅亡後、同地域では東ゴート王国やフランク王国が繁栄していきます。



参考文献
桜井万里子・本村凌二『世界の歴史5ギリシアとローマ』中央公論社,1997.
松本宣郎編『世界歴史大系 イタリア史1 古代・初期中世』山川出版社,2021.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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