目次
前史:分裂したイタリア
ウィーン体制下のイタリアは、10の国家に分裂していました。
「ウィーン体制」をわかりやすく解説
【ウィーン体制とは】 ウィーン体制とは、フランス革命前の社会を目指し、作られた体制です。 1814年~1815年のウィーン会議で定められました。 【前史:フランス革命】…
イタリア統一史①ナポリ革命/シチリア革命/ピエモンテ革命
1820年にナポリ革命とシチリア革命が発生し、1821年にはピエモンテ革命が発生しました。
いずれも、イタリア諸国が憲法の制定などを目標とした革命でした。
結果的には、3つの革命ともに失敗に終わりました。
イタリア統一史②1848年革命
1848年、イタリアの複数の国で、民衆運動が起こります。
この結果、イタリアの諸国で憲法が制定されました。
しかし1849年までに革命は制圧され、ほとんどのイタリアの諸国では、憲法が破棄されました。
イタリア統一史③第二次独立戦争/イタリア統一
北イタリアのサルデーニャ王国だけは、憲法と議会を維持していました。
そしてサルデーニャ王国が中心となり、イタリアの統一が進んでいきました。
そして1861年3月、イタリア王国が誕生しました。
参考文献
谷川稔・北原敦・鈴木健夫・村岡健次『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』中央公論新社,1999.
北村暁夫『イタリア史10講』岩波書店,2019.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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