「パトリキ」「プレブス」をわかりやすく解説

目次

パトリキ

パトリキとは

パトリキとは、共和政のローマにおける貴族のことです。

パトリキは、コンスルや元老院などの重要な役職を独占し、絶大な政治的権力を持っていました。

パトリキ関連用語①コンスル(執政官/統領)

コンスルとは、共和政ローマにおける最高権力者です。

パトリキから2名が選出され、任期は1年でした。

パトリキ関連用語②元老院

元老院とは、共和政ローマの諮問機関です。

諮問機関なので、政治に対して意見することができます。

元老院は、コンスルなどの公職を経験したパトリキで構成され、任期は無期限でした。

プレブス

プレブスとは

プレブスとは、共和政のローマにおける平民(一般市民)のことです。

共和政ローマでは、パトリキが政治権力を独占していたため、プレブスの影響力は低いものでした。

ただ紀元前5世紀以降、少しずつパトリキへの対抗力をつけていきます。

プレブス関連用語①護民官

護民官は、コンスルや元老院の決定に対して拒否権を行使できる役職です。

護民官は、プレブスの中から選出される役職で、紀元前494年に成立しました。

プレブス関連用語②平民会

平民会とは、プレブスのみで構成される民会です。

紀元前五世紀に設置されました。

平民会では、護民官の選出などが行われました。

パトリキ・プレブスの身分闘争

パトリキは、圧倒的な権力でプレブスを従えていました。

しかし紀元前5世紀以降、パトリキは、少しずつプレブスの権利を認めていきます。

異民族の侵攻が問題となっていたこともあり、プレブスが団結して労働を放棄することで、パトリキに影響を与えられるようになっていたのです。

身分闘争史①護民官の成立

紀元前494年、プレブスは護民官を成立させます。

護民官とは、前述の通り、コンスルや元老院の決定に対して拒否権を行使できる役職です。

パトリキの中には、コリオラヌスなど護民官の廃止を要求した人物もいました。

しかしプレブスの勢いは止まらず、護民官の制度は継続していくことになります。

身分闘争史②十二表法の成立

十二表法とは、紀元前5世紀半ばに成立した、ローマで初めての成文法(文章化された法律)です。

十二表法が成立する前は、法律が公開されていおらず、パトリキの神官が独占的に法律を運用していました。

十二表法という成文法の成立により、ブレブスにも法律が公開されたのです。

また、十二表法はギリシアの法律を参考にしたとも言われており、ソロンの法を学ぶために使いを派遣したという話もあります。

身分闘争史③リキニウス・セクスティウス法の成立

紀元前367年、リキニウス・セクスティウス法が成立しました。

これにより、2人のコンスル(最高権力者)のうち1人をプレブスから選出することが決定されました。

これまでパトリキが独占していたコンスルの役職に、プレブスの人間が選出されるのは画期的でした。

このリキニウス・セクスティウス法によって、プレブスの政治への影響力は高まりました。

ちなみに毎年プレブスからコンスルが選出されるようになるのは、紀元前341年です。

身分闘争史④ホルテンシウス法の成立

紀元前287年、ホルテンシウス法が成立しました。

これは平民会の権限を強化する法律でした。

元老院の承認なしで平民会の決定が効力を持つようになり、プレブスの権威が大きく向上しました。

内部では身分闘争、外部とは征服戦争

以上のような内部対立があったローマは、対外的には征服戦争によって領土を拡大していました。

紀元前3世紀中には、イタリア半島を統一するなど、征服は順調でした。

そしてローマは、強国カルタゴとのポエニ戦争に突入していきます。



参考文献
桜井万里子・本村凌二『世界の歴史5ギリシアとローマ』中央公論社,1997.
松本宣郎編『世界歴史大系 イタリア史1 古代・初期中世』山川出版社,2021.
木村靖二・岸本美緒・小松久男編『詳説世界史研究』山川出版社,2017.
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